ネタと暴言は紙一重

私はよく自分のことを駄目だなーと思うことが結構あります。
自分ではそれを事実だと分かってる上で…まぁ一種の諦めもこめて言ってます。*1
そういうことを友達がいるときにたまに口走る時があるんですが、たまにこんなやりとりがあります。

私「ホント俺って馬鹿だわー。」
友達「全くだw」

正直自分では認めてはいるけど他の人に言われると何かしら違和感を感じます。
これって人の感じ方にもよるんですが、変に考えるとこれが暴言にも聞こえてくるとも思われます。
上の関連URLにもありますけど、自分で言う分には構わないけど第3者に言われると我慢できないというケースは多分結構ありますよね。
これって矛盾してませんかね?
けどその矛盾を自分は許せないというのも何か変な話です。*2


そこで上の会話例を使います。友達の部分を故意に言った場合と自然に出た場合とで考えることにします。
まず故意に言った場合。
この場合内輪話やある程度交流経験があって言っている場合ならネタとして解釈できます。
が、例えば上の例の友達がホント見ず知らずの人に言われたとしましょう。
多分ある程度の人は「何であんたに言われないといけないの?」と腹が立つと思われます。*3
では自然に出た場合。
というか自然に出る場合は高確率で同じく交流経験とかがある人じゃない限りでないと思います。
しかし、その自然さが逆に何も考えずにこう言ってるのかと感じてしまい暴言みたいになってしまうこともあると考えられます。


ここまで来ると、寛容さ溢れる人だったりしないとネタな発言も暴言という概念に置き換えられてしまうと思います。
略称も同じだと思えます。例を挙げるならオタクや腐女子等。
この例も結局は自分は認めているから他の人にそういわれても気にしないよーという人と、僕はオタクじゃなくてマニアだ!などのような他の人には言われたくない葛藤が出来る人に分かれます。
なので、こういう発言は紙一重だなと思います。
言葉は時に棘にもなると思いますので、TPOとかを弁えて発言しないと相手を傷つけたり自分が傷ついたりすることもあるので、注意して発言するようにしましょう。
また、いくらそう言われてもポジティブになれば発想も少しは変わってくると思うので、そういう概念を常に持つのもいいかもしれません。


どーでもいいですが、私は別に暴言じゃなければ変な固有名詞で呼ばれても多分大丈夫です。多分。(何

*1:一応改善する努力はしてますけど。

*2:自分もそうだけど。

*3:寛大な心を持って、暴言とかもオールOKとかスルー力がある人は多分これには当てはまらないかと。