「弱小」という名の虚栄心

よく私は自分は「弱小」サイトだから…という理由を言う時がある。


最初っから自分否定だけど、この理由は「弱小」という名を使って謙ってるだけに過ぎないと思う。
そして相手に同情を買って結果的に自分を上げる要素にする虚栄心が現れてるのだと感じる。


例えば「何でうちの記事を取り上げてくれないんですか?こんなにいい記事になのにどうしてですか?」とコメントか何か来たとする。
この文を見たとき「これはスルーしないとな。」と思うことは結構あると思うがあえて何でかを考えてみると、

  • サイトの方向性にあわないから。
  • タイトルに興味を惹かれなかったから。*1
  • 内容が長すぎる。
  • 内容が難解すぎる。

一応自分がもしもスルーするならこれくらいのことが挙げられる。
そして、これを言ってきた側のことを考えると「紹介されないということは、うちなんて目を向ける価値もない弱小なんだな…。」と思う人も少なからずいると思う。*2 *3
だけどそこで終わって「何でうちの記事を取り上げてくれないんですか?」と言ってしまったら駄目だと思う。
取り上げられるということは、上の問題を1点以上はクリアしてるし納得させられることを書いてるからである。
そりゃもちろん上の問題全部解決しててももちろん取り上げられないことはザラである。


だから、ここでめげずに「思考」することが重要だ。
何で取り上げられなかっただろうと、理由を「思考」すればその後の糧には必ずなるはずだ。
文章にしてメモをとっておけば、この時どう考えてたのかも後で振り返ることもできるし利点は絶対ある。


けどそこでネガティブに考えてしまったら人間的にもやはり劣ってしまう気がする。
それを逆手にとって「自分は弱小だから…。」と謙れば結果的に取り上げられるかもとなる可能性は否定できない。
が、それを主張した所で自分を「防御」してるだけで相手に訴えかけるような「攻撃」は何一つしてないと思う。
相手の心に響かせる記事は「攻撃」だと思う。*4
弱小と言ってる時点で負けだ。「攻撃」は最大の「防御」というぐらいだし、文章で訴えるのであれば「攻撃」するしかない。
だから「弱小」を言う時点で結果的に「防御」に繋がり先ほどのような虚栄に走るしかないと個人的に感じる。


結局どうすればいいというかというと、そんな発言をするくらいならもっと考えろ。
考えるということは人を進化させる要因を担うことだと思う。
だから「弱小」などという虚栄心を抱いていては「思考」を停止することになるので自分にもよくない。


人は生まれながら疑問を抱き考える生き物だと思う。それに背かず前へ進むことが重要であると思う。

*1:関連→他人の不幸は蜜の味: ブログのタイトルは5種類ある。

*2:一応自分もたまに感じる。

*3:感じない人はもちろん感じないだろう。一応こんなことを思う人が自分みたいにいるかもしれないからこう書いた。

*4:まぁいい意味で響かせるのか悪い意味で響かせるのかは置いておく。